この世界の神様は懲らしめのために戦を起こすほど恐い。そういう神様に仕える聖職者にすれば、まず娘 だけは無事に人生を過ごせるというものだ。娘の安泰を第一に考えるという父はなんと娘思いの事だろう。
 就くことの出来る聖職者には「司教」と「シスター」がある。司教ともなれば、考えようによっては、この信仰深き 世界ではエリートなのだ。そうなればお金だって・・・・・とやはり俗世を離れられない父である。

信仰こそ人の進む道

なんといっても神様に仕えるわけだから《信仰》が大切であることは間違いない。あとは常識的に考えるなら、 聖職の職務をまっとうするのに必要な能力は、他に《モラル》《知能》がある。もちろん信仰がこれらの能力より高く なければならないのは当然だ。信仰第一であることには変わりはない。
 罪深きものは聖職につけないかというとそうでもない。《因業》が高くてもモラルさえ高ければ 聖職者になれる。罪は罪。要はそれを大いに悔いるだけのモラルがあって、信心深ければ神は許されるのだ。

 また聖職者は全ての人々に安らぎを与える。だから、様々な職業の人々を理解出来なければならない。例え戦士 だろうと平凡な主婦だろうと、区別なく理解してくれるという《評価》を受けなければならない。だから戦士・魔法・ 社交・家事という世間の評価がバランスよくなければならない。低いレベルでバランスが良くても、ちょっと無理。 なんでも良くこなせる人という評価が必要。